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Channel: 薔薇の古城
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旧沼南町大井をめぐる伝承

現在は柏市になっているが、旧沼南町に大井という場所がある。ここは旧沼南町でも比較的早くから開けた地区であるが、いろいろな歴史伝承を持っている。...

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船橋周辺の変わった石造物

船橋周辺を歩いていると、変わった石造物に出くわすことがある。以下、そのうちの数例を紹介する。...

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国府台周辺の遺跡と伝説(その1)

市川市の国府台は、読んで字の如く、かつて下総国の国府があった場所である。その国府台は、戦時中までは野砲兵隊や高射砲部隊が置かれるなどして、軍隊の町であったが、中世以前の様々な遺跡が残っている。長い軍隊の駐留や戦後の開発によって、かつての国府、国衙の遺跡や大小の古墳、中世城郭などの遺跡が、かなりの部分破壊されてしまったことは残念であるが、周辺を含めて、残存する遺跡もあり、またそれらにまつわる伝説もある...

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国府台周辺の遺跡と伝説(その2:真間山弘法寺と市川城)

前回、国府台周辺の伝説として、真間の手児奈について紹介した。 その手児奈を祀る手児奈霊堂の北側の台地上にある真間山弘法寺は、鎌倉時代の建治元年(1275)に真言宗から日蓮宗に改宗した古刹であるが、実はこの弘法寺自体(あるいはその寺域)が康正2年(1456)正月の市川(市河)合戦の際、千葉実胤、自胤が拠った市川城であったという説(千野原靖方氏の説)がある。 ◆市川城とは...

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国府台周辺の遺跡と伝説(その3:国府台合戦の謎)

1.室町幕府と対立した鎌倉公方...

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国府台周辺の遺跡と伝説(その4:亀井院と弘法寺の涙石)

真間山弘法寺のすぐ下、手児奈霊堂の向かいに亀井院という寺院がある。これは、弘法寺の子院で、元は瓶井坊といった。寛永15年(1638)頃、弘法寺の第十一世住職日立上人によって、貫主の隠居寺として建てられた。当初瓶井坊といっていたが、のちに弘法寺の大檀那鈴木長常を葬って鈴木院と改称、長常の子鈴木長頼が宝永2年(1705)になくなって没落すると、近傍にあった霊亀出現の井戸、亀井(真間の井のこと)にちなんで...

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船橋印内にある成瀬地蔵

「犬山まつり」は桜と山車で有名であるが、その犬山城の城主成瀬氏は、船橋と所縁がある。犬山城主となった成瀬氏と船橋との関わりは、犬山城主初代の正成の代から始まる。成瀬正成は徳川家康の側近であったが、天正18年(1590)に家康が豊臣秀吉によって関東に移封された際、栗原郷といわれていた現在の船橋市西部の四千石の所領を与えられた。成瀬正成は、能力のあった人物であったらしく、関ヶ原の合戦で軍功をあげ、堺の行...

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国府台周辺の遺跡と伝説(その5:総寧寺門前に続いていた道と「法皇坂」)

市川の国府台は、JR市川駅のほうから北へ進み、根本を抜け、真間山下のバス停あたりから松戸街道をのぼっていくと車の往来が激しく、また景色もいささか殺風景である。...

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国府台の戦争遺跡関連動画

国府台の戦争遺跡が少しばかり紹介されている動画。なお、野戦重砲兵連隊の裏門跡につづいてうつる砲兵隊は、国府台のものではないそうだ。 以下、YouTubeより。

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馬加城と三山七年祭

今では、ハイテクの街として知られる幕張。かつて、ここが千葉氏の本家を倒し、それにとってかわった馬加氏の本拠地であったことを知る人は少ないだろう。 <武石の真蔵院>...

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